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ATSURO TAYAMA

田山 淳朗

田山 淳朗

21 June 2016

文化服装学院卒業後のご活躍は誰もが知るところであり、すみれ会の会長に就任された田山淳朗氏に、ファッションを志した理由から文化服装学院時代のこと、そして、すみれ会の今後までを訊いた。

文化卒業後は、Y’sを経てご自身のブランドを立ち上げられ、現在に至るまで輝かしいご活躍されていらっしゃいますが、田山様はどのようなきっかけでファッションに興味を持ち、文化で学ぼうと思われたのでしょうか?

高校2年生の時くらいですよね、その頃にファッションに興味を持ちまして、具体的に調べていくと文化服装学院が、学校の規模から設備から、教える人たちのレベルから卒業生の数とそのレベルが非常に優れていたので、そこを選び、入学したということです。そして、入学してから2年間(無遅刻・無欠席)学び、卒業後にピエール・カルダン賞を獲得しました。装苑賞は参加候補にはなったものの獲ることはできませんでしたが、そこでそういったコンテストに出すということは、デザイナー志向であったわけで、デザイナーの下に入って勉強したいということで、山本耀司さんという方を選んで、幸運にも入社できたということです。

高校2年生の時に、ファッションに興味を持ったきっかけは、具体的に憧れていたデザイナーなど、何かあったのでしょうか?

ちょうどその頃、日本のファッションが始まったというか、日本のファッション業界みたいなものが固まってきて、職業としてのファッション・ビジネスというものに興味を持ったのがきっかけといえばきっかけかと思います。それと、「作れる」ということに興味を持ったということもあるかと思います。やはり事務的な仕事よりはものづくりの仕事をしたかったので。また、ファッションの世界は、なんとなくイメージとしてインターナショナルな感じがあって、海外に出ていけるのではないかという考えもあありました。私は熊本出身ですが、熊本で公務員などになると、海外で仕事をするということは、難しいですから、そういった比較をしても、ファッションというものは外国にも近いということもあってファッションの世界に入っていったということですね。

当時から海外志向が強かったのですね。それは海外のファッションやカルチャーへの憧れなどから来ているのでしょうか?

海外志向、特にフランス志向は強かったですね。当時の日本はアメリカ志向の人が多かったのですが、僕は少し変わり者で、映画もフランス映画のほうが好きでしたし、そういった趣向はあったと思います。

そういったフランス志向は、周囲の人、例えばご両親などからの影響などはありましたか?

いいえ、特にそういったことはなく、映画であったり、本であったり個人の趣向がそうだったということだと思います。

すみれ会の会長就任にあたってのメッセージでも触れられておりますように、「文化で学んだことがデザイナー人生を支えている」ということですが、具体的にどのような点が文化で学んでよかったとお考えでしょうか?

特定の授業のこの部分ということよりも、憧れて入ったところで、ゼロから始まった僕が、憧れだけでは通用しないということが授業の中でわかり、そして技術というものが必要であることがわかり、技術に対しての知識が必要であることがわかり、そういったものとは全く別次元で感性というものが必要で、才能や感性を伸ばしていかなければならないこともわかり、そのためには勉強すべきところは勉強しなければいけないんだということがわかったということが、デザイナーとして必要な要素が文化服装学院という学校の中に凝縮してあったということですね。

なるほど。同じように学ばれた同級生や先輩などもたくさんいらっしゃるかと思いますが、卒業後に文化出身で良かったと感じられたことはありますでしょうか?

そうですね、僕は若くしてパリに渡りましたので、その当時のパリには高田賢三さんをはじめとして、パリすみれ会というものがあって、その組織に助けられたわけではありませんが、文化服装学院出身者が非常に仲良くやってましたので、その中に入れていただいて、知らない土地で生活するにあたって電車やバスの乗り方などから教えて頂けたというのは助けになりました。

パリすみれ会というのは、初めて耳にしました。そういったつながりがあったのですね。知らない土地での生活では非常に心強い存在だったことは、容易に想像できます。
卒業後も、装苑賞の審査や様々な形で文化服装学院に関わってこられたかと思いますが、自分が学生として学ばれていた時と卒業後にOBとして見た時を比べて、何か違って見えることや、感じることはありますか?

閉鎖的ということについては、ポジティブな意味とネガティブな意味があるとすれば、閉鎖的になるくらい課題がたくさんあり、人との付き合いができないくらいものを作らなければならないということはあるかもしれません。私としては、そういったことはポジティブに捉えています。今の時代にはむしろポジティブな意味を持つのではないかと思いますね。そして、同じ経験を共有している卒業生同士の結びつきに繋がっているのではないでしょうか。

すみれ会として、今後変えていくべき部分があるとすれば、どういったところがあげられるでしょうか?

OB・OGたちとの接点を増やしていかなればいけないというのは、一番大きな目的であり目標であると思います。
幸いにして、多くの卒業生が、いたるところで良い仕事をしていますので、そういった人たち同士の接点を増やしていって、良いコミュニケーションができればと思いっています。

すみれ会のサイトリニューアルも、新たなスタートの一つだと思いますが、コミュニケーションを促進するための施策としてはどのようなビジョンをお持ちでしょうか?

やはり、卒業生同士の結びつきのベースにあるのは、やはり「学校」ですから、現在の学生さん達がどういったことをしているのかということを発信していくことは重要なのではないかと思います。

文化服装学院は、田山様も入学された理由の一つとして挙げられておりましたが、充実した施設がありますが、卒業してからその施設を使おうとするとなかなかハードルが高い部分もあるかと思います。そういったこともすみれ会から変えていくことなどはお考えではないでしょう?

装苑賞やインキュベーションなどを卒業生のクリエイター支援ということにも力を入れているかと思いますし、そういった意味では卒業後の施設の利用も他と比べるとかなり進んでいると思います。しかし、そういった情報が発信されていなければ、利用が促進されませんので、積極的に情報を発信していく必要はあるのではないかと思います。

すみれ会以外で、ファッションデザイナーとして今後どのような展開・活動をお考えでしょうか?

デザイナーとして大切にしなければいけないことは、目の前のお客様に集中していくということで、それはこの仕事を始めた頃から変わりません。売上が100万円でも、1,000万円でも、1億円でもファンでいてくれるお客様に満足してもらえなければ、続けて行くことはできません。

デザイナーを目指されている学生さんも多いかと思いますが、ご自分が学生の時と比較して、現在の学生さんについて感じること、思われることはありますか?

最も大きい変化は、コンピューターというテクノロジーが登場して、環境として非常に恵まれているなと感じることはあります。しかし、その一方で、恵まれているがゆえに失ってきたものもあるのではないかと思います。あまりにコンピューターに依存するのではなく、自分の手で描いたり、作るということは忘れないほうがよいのではないでしょうか。
今リサーチなどをしてもらうとインターネットで探した同じような答えが帰ってくるので、そういった状況には危機感を持ったほうが良いと思います。
お客様に納得してもらうものを作るためには、手で描くにしても、コンピュータで描くにしても、やはり「自分の線」を持っていなければいけなのではないでしょうか。

そんな田山様が考えるファッションの魅力とは何でしょうか?

ファッションはコミュニケーションですから、それに尽きるんではないでしょうか。デザイナーとパタンナーのコミュニケーション、生地工場や縫製工場とのコミュニケーション、お客様とのコミュニケーション。それら全てがファッションの魅力だと思っています。

最後に文化で学ばれた卒業生、そして現在学ばれている現役に向けてメッセージを頂けますか?

まずは夢や憧れを持って続けていくことですよね。やはり、続けるということが一番大変ですから、まずはそれを目標にして頑張って欲しいと思いますね。5年、10年というスパンではなく、20年、30年という期間続けるということですね。

ご自身の経験を交えて、非常に説得力のあるお話ありがとうございました
すみれ会の今後の展開を楽しみにしております。

田山 淳朗

すみれ会会長

すみれ会会長

1955年1月30日生まれ。
1975年、文化服装学院卒業。第14回ハイファッション[ピエール・カルダン賞]受賞
1975年、株式会社ヨージ・ヤマモト入社
1982年、株式会社エー・ティー設立、“A.T”発表
1984年、A.T東京コレクション参加
1986年、第10回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞
1989年、再び渡仏。A.T FRANCE s.a.設立。パリにてATSURO TAYAMAブランドをスタート。 

1955年1月30日生まれ。
1975年、文化服装学院卒業。第14回ハイファッション[ピエール・カルダン賞]受賞
1975年、株式会社ヨージ・ヤマモト入社
1982年、株式会社エー・ティー設立、“A.T”発表
1984年、A.T東京コレクション参加
1986年、第10回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞
1989年、再び渡仏。A.T FRANCE s.a.設立。パリにてATSURO TAYAMAブランドをスタート。 

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