客と対話する受注生産型ニットで、
モノづくりの制約をなくしたデザイナー
文化服装学院の卒業生たちの現在を追う、“文化つながり”のインタビュー集「LINKS(リンクス)」。今回フォーカスするのは少数鮮鋭の型数で勝負するニットブランド、ナヤットの創設者&デザイナーである依田聖彦さん。顧客がオーダーした数だけを生産する独自の道を歩む依田さんの、卓越した発想力に迫る!
スタートから6シーズンの「NAHYAT」
ナヤットはファッションブランドの一般的なセオリーから外れた個性派である。年間につくるニットの型数は平均してわずか10型。しかも卸しをせず自身のオンラインストアも持たず、オーダーされた数量だけを製品にする。オーダーするのは購入する顧客自身。SNSなどで知った人たちが全国で開かれるオーダー会にやってくる。客は依田さんらのスタッフとの会話を楽しみながら試着して、気に入った服を選ぶ。身体を採寸する注文服ではなく、バイヤーの買い付けに近いやり方だ。服が生産されて発送されるのはオーダーから約半年後。待ち望んだ客の手元に届いた服は、丁寧に選んだ喜び、時間の流れ、つくり手の顔が見える、といった付加価値に満ちている。毎年購入して少しずつコレクションを増やしたくなる宝物のような新しいブランドのあり方だ。
「原価計算から入って販売価格を決める一般のファッションブランドの服づくりですと、デザインすることに外的環境が影響してしまいます。独立してブランドを立ち上げたとき、その制約をなくそうと考えました。受注生産することでリスクと無駄の少ない体制にしたかったことも理由のひとつです。セレクトショップだけで売る商品をパートナーシップとして彼らと一緒につくることはありますが、通常商品は卸しをしません。お客さまに気に入っていただいた服だけを生産しています」
そう語る依田さんのブランド構想は、スタートした2017年にはアパレルの常識に縛られない実験的な試みと考えられた。ところがコロナ禍で世の中が「トレンドからパーソナルへ」と流れが大きく変化。流通数が限られるナヤットは、「自分だけの特別感」があるパーソナルな存在だ。さらにニットは糸一本までフル活用できるSDGsなアイテムでもある。資源の無駄をなくすことにもつながるナヤットはいま、時代が求めるファッションブランドになった。
心地いい体験を提供するオーダー会
活動のベースにする東京をはじめ、京都、大阪、福岡など全国各地で予約制のオーダー会を開催。客を招く場所にも深いこだわりがある。記念日に高級レストランや割烹に行くように、顧客に特別な体験をしてもらうことを狙った空間づくりだ。
「ナヤットが受注会をやるならこういう空間、という発想を大切にしています。質のよさを追求するがゆえに一着数万円する服です。その価格を出していただけるかたにお越しいただくからには、なんらかの思いをお持ち帰りいただきたいので」
ナヤットには日常に寄り添う大人の贅沢がある。
糸から仕立てるニットの世界
依田さんのキャリアのスタートは、文化服装学院を卒業して勤めたヨウジヤマモトから。ニットを担当したことでこのジャンルの奥深さに目覚めたようだ。独立してニットブランドを構想したのも自然な流れだった。糸を編んでいくニットは糸の個性が服の印象を決める最重要の要素。時間と手間が掛かる服であることを彼が次のように語った。
「使う糸を決めてから、染めるだけで3週間ほど必要です。合計して完成までに一ヶ月半を要します。編地のさまざまなサンプルもつくりますし、ナヤットは一着のニットを仕立てるまでに長い時間を掛けてます。規模の大きなファッションブランドですと、このようなモノづくりは難しいです。『糸をたしなむ』と呼んでいるナヤットのようなやり方は通用しにくいですね」
自分ならなにができるかを考えて導き出したのが依田さんのスタイルだ。
服でなくてもOK!?ユニークな人生ストーリー
依田さんにこれまで辿ってきた道を尋ねると、意外な答えが返ってきた。かなり個性的な人生ストーリーだ。
「出身の群馬県で通った高校は夜間の工業高校で、昼間は働いてました。家庭の事情もあっての生活でした。若い頃からずっと仕事をしてきたことになるでしょうか。ただやりたいことが見つからず、フィレンツェにサッカーを観に行く機会があったことで3ヶ月ほどイタリアに滞在しようと思い貯金を溜めました。ところがたまたま専門学校の案内書を開いたとき、そこにあった文化服装学院の入学金が貯金額と同じだったんです。『これは運命だ』と感じて入学することに。ファッションのことはまったく興味なかったのに(笑)」
「どうせやるなら厳しい道を」ということでファッション工科専門課程を選択。生活費を稼ぎながら授業を受け成績も優秀。転機になったのは初年度の工科基礎科が終わる頃のこと。
「デザインについて真剣に考えるようになって。無印良品のアートディレクションなどをなさっていたグラフィックデザイナーの原研哉さんの本に出会ったのがきっかけです。アパレル技術科に進んだものの、パターンを追求することへの興味が薄れがちになり成績がダウン。就活もせず卒業間近の2月を迎えてしまいました」
山積みの学校の課題をこなしながら生活費も自力で稼いだ彼の日々を思うと一般学生と比べるのは筋違いなのだろうが、せっかく文化に通いながら就職に至らなかったのは確かにもったいない話だ。しかしそこで再びドラマティックな出来事が起きる。
「クラスの友人から、ヨウジヤマモトがパタンナーを募集しているとの情報を得ました。そこで応募して3月に面接に行きました。実はこのとき、3月11日の東日本大震災が起きてしまったんです。文化は卒業式も取りやめになりました。ヨウジヤマモトに面接に行ったのが震災から一週間後のこと。『なんでもやります』と伝えて採用されたのがニットの部署。ニット担当は企画・パターン・生産とすべてをひとりで行う仕事でした。ここで一通りアパレルのシステムを学んだ経験が、独立してナヤットを立ち上げる自信へとつながりました」
工業高校から上京して文化服装学院に通い、6年半のヨウジヤマモト勤めを経てナヤットを6シーズン運営した依田さん。いま断言できる気持ちは、「テキスタイルが好き」ということ。デザインとは家具から料理まであらゆることに共通するエッセンスだと彼は考えている。2023年度にはコレクションに新しく布帛アイテムが加わった。ナヤットの未来には、どんな世界が広がっていくのだろうか。
※2023年3、4月取材
LINKする卒業生 ・庄司 亘(アパレル技術科卒業) ゴールドウイン勤務 パタンナー 「アパ技の同級生です。文化つながりのなかでとくに親しい人。ゴールドウインは多くのパタンナーが富山県に勤務していて彼も長く富山にいましたが、東京の社屋に移ってきました。家に遊びに来てくれたりオーダー会に来てくれたり、よく顔を合わせています。スポーツ系のゴールドウインの3Dパターンの話を聞いたり、仕事面でも刺激を得ています」 |
記事制作・撮影
一史 フォトグラファー/編集ライター
明治大学&文化服装学院(旧ファッション情報科)卒業。編集者がスタイリングも手がける文化出版局に入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。撮影・文章書き・ファッション周辺レポート・編集などを行う。
Instagram:kazushikazu
関連サイト
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NAHYATの公式サイト。https://www.nahyat.com
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NAHYATの公式インスタグラム。https://www.instagram.com/nahyat_official/
INTERVIEW
ファッションデザイナー
ナヤット(NAHYAT)
依田聖彦(よだ・まさひこ)
アパレル技術科 2011年卒業
1988年、群馬出身。4年制工業高校を卒業し、文化服装学院に入学。卒業年にヨウジヤマモトに入社。ニット担当になり約6年半勤務。独立して2017年に自身のブランド「ナヤット(NAHYAT)」をスタート。全国で開催する年に一度のオーダー会による受注生産体制を貫く。2023年度からは布帛アイテムもコレクションに加わった。
NEXT
次回のVol.22は、2022年に新卒で有名アタッシェドプレス「M」の正社員に採用された沖田夏子さん。高校生時代からPRの仕事を目指した沖田さんが夢を実現させた秘訣と、新人PRスタッフとして奮闘する日々をお届け!
INTERVIEW
ファッションデザイナー
ナヤット(NAHYAT)
依田聖彦(よだ・まさひこ)
アパレル技術科 2011年卒業
1988年、群馬出身。4年制工業高校を卒業し、文化服装学院に入学。卒業年にヨウジヤマモトに入社。ニット担当になり約6年半勤務。独立して2017年に自身のブランド「ナヤット(NAHYAT)」をスタート。全国で開催する年に一度のオーダー会による受注生産体制を貫く。2023年度からは布帛アイテムもコレクションに加わった。