HIROSHI TOHNAI

ファッションデザイナー
藤内裕司

 

経験を積んで立ち上げた新ブランド、
コート1型からの挑戦

 

文化服装学院の卒業生たちの現在を追う、“文化つながり”のインタビュー集「LINKS(リンクス)」。今回のクリエイターは海外有名ブランドの企画に長く携わり、自分のブランドへと歩みを進めた藤内裕司さん。実力に定評がある彼が目指す、コロナ禍以降の新しい服との関わり方とは!?

「TOHNAI」ファーストコレクション

2022-23年秋冬シーズンよりスタートした「TOHNAI(トウナイ)」のデビューアイテム、フードつきウールメルトンコート。

フロントを切り返して、着たときのボタンの締め方や脱いだときに豊かな表情が生まれる。

 

企業デザイナーとして活動してきた藤内さん。2022年に自身のブランドをはじめるときに考えたのが、コート1型(2種類のウール素材)のみのコレクションだ。生地屋や工場との深い付き合いにより生まれた完成度の高い一着。10月に販売した全国のセレクトショップ8店ではすでに、ここに掲載したSUPER140’s最高級メリノウールのダブルフェイス(リバー仕立て)モデルは完売。もう1種類のウォッシュドメルトンモデルをわずかに残すばかり。1型のみの特別なブランドに込めた思いを彼に尋ねた。返ってきた答えからは、既存のファッションシステムとは距離を置く発想が見えてきた。

「デビューコレクションのコートは、『これぞ藤内』と言い切れる一着です。まずは自己紹介の役割も兼ねて、自分らしい1型だけを世に出すことにしました。ひとりで制作を進め、タグにはブランド名を自らスタンプした手づくり感覚の服です。モノが溢れるいまの時代において意味を持つ服をつくりたかった。たっぷりとしたシルエットで、基本的なパターンはメンズですが女性にも似合います」

「将来的にファッション傾向が移り変わったら、こちらでお直しを請け負ってリフォームできればと望んでいます。長く着続けて無駄をなくすことはサステイナブルですし、『これが好き』と感じていだける人々とコミュニティのような関わりを持っていきたいのです」

23年10月〜11月まで福岡のショップ「エンライトメント」にて開催されたポップアップショップの様子。撮影:藤内裕司

 

彼の考え方は時流に左右されず安定して(安心して)服づくりを続けるひとつのやり方だ。ビジネスとしても、いつ契約を切られるか不明な雇われ仕事と比べ安定収入につながる。ただし、うまくいかなかったときのリスクも大きい。藤内さんは現在も裏方の仕事を続けている。

「コロナになり仕事が激減した時期がありました。仕事の仕方を見直す大きなきっかけになりましたね。10年、20年捨てずにクローゼットに残る価値ある服を支持する人が、コロナ禍で増えてきたようにも感じました。TOHNAIでは将来が危ぶまれる日本での服づくりを大切にして、つくる人と着る人とが結びつく『ストーリーと佇まいのある服』をやっていこうとしています。目指すのは着る人の人生のモチベーションが上がる服。『生きるための服』です」

時代を読むセンスもファッションデザイナーには大切な資質だ。いま求められるモノを大切にするパーソナルな服に着目した彼の目線は時代とリンクしている。

新オフィスでの時間

東京・原宿の奥まったエリアにある某ショップの上を間借りして、新オフィスを構えている。店とのシェスペースもあり、個人の仕事には十分すぎるほどの広く爽やかな空間だ。

パソコンを置いた藤内さんのデスク。周囲にはたくさんの生地サンプルがある。
きれいに整理されたアーカイブ資料。ボックスの中身は生地サンプルを貼ったシート。

気になる端切れは捨てずにとっておく。新しい生地づくりや服デザインのヒントになる。

 

ファッションのさまざまな要素のうち、藤内さんがもっとも愛するのが素材や生地。「マテリアル ギーク」(素材オタク)を自認するほどだ。アトリエには企業で仕事をするなかで、日本のさまざまな産地を訪れて入手した生地の端切れまで大切に保存している。

「アトリエには生地や素材の見本やサンプルをたくさん置いています。これらがデザインのベースになり、生地開発をして服を仕立てていきます」

縦にずらりと並ぶ生地見本。生地業者のオフィスではお馴染みの光景。
企業デザイナー時代にオーガニックコットンらの高級綿で知られる大正紡績につくってもらった、藤内さんの名で命名されたオリジナル生地「TOHNAI NUF」。

「これ面白いですよ」と見せてくれたシェトランドウールのニット染色見本。図鑑のように楽しく工夫されている。

独立した理由

アングローバルに勤務していた藤内さんが仕事から離れることにしたのには、2つの大きな理由があった。

「ひとつは、『そろそろ独立を』という思いから。もうひとつは、手掛けていたMHL.の規模が大きくなりすぎたことです。このブランドは当初、本国イギリスでわずかな型数しかありませんでした。ラインナップを拡大するときに日本企画を加えることになり、僕が担当することになったんです。人気を得て店の数が増えるにつれ、アイテムの方向性も幅広くなりました。しだいに仕事のペースが合わなくなってきました」

彼の資質はこの頃からパーソナル志向だったのかもしれない。退職してフリーのファッションデザイナーとして独立し、高機能のアウターブランド「WISLOM(ウィズロム)」のディレクターに就任。ファッションシーンで高い評価を得たが、コロナ禍の影響もありブランドが休止。藤内さんの服づくりも頓挫した。

「コロナのインパクトはすごく大きくて。WISLOM以外の企画仕事も減りましたし。だからこそ自分ですべてをコントロールできる体制をつくり、やりたいことをやる決意をしました。現在はTOHNAI以外に、複数のプロジェクトを同時進行で進めています」

人気ショップ「1LDK」のゼネラルマネージャーだった関隼平さんがディレクションする、シャツを基軸にしたブランド「SH」。服づくりの現場を藤内さんが担当。「関ディレクターの思いを形にするのが僕の役割です」。

 

稼いだ入学金で通った文化服装学院

「この道で食っていこうと。バイトで稼いだお金で入学金を支払いました」
文化服装学院に入学したときから、藤内さんは一生の仕事を見定めていた。大分の高校を卒業して1年間大阪に滞在してアルバイト。そこで得た入学金で学校に通った。選んだコースは主にパターンを学ぶアパレル技術科。

「雑誌のスタジオボイスを愛読する、ファッションカルチャーが好きな学生でした。裏原宿がブームの時代で、ストリートに向かう人もいましたが、僕が惹かれたのはヨウジヤマモトやコムデギャルソンといった日本のモード」

文化の魅力については、

「まず設備の多さが素晴らしかったです。テキスタイル科の教室で布を染めさせてもらったりしてました。人脈の広がりも文化の凄いところだと思います。当時の小杉先生が特別授業でファッション業界の人をたくさん招き、『こういう仕事があるんだ』と学ぶことができました」

「僕たちは喫茶室のような部屋のバイオレットルームでみんなダベってました。文化はたぶん、美大とは違う独特の空気があると思います。校内にいるのはタイプの違う人ばかりですが、洋服好きな点で共通してますから」

アトリエの屋外にて。原宿とは思えない日本的風情のある静かな環境で日々を過ごす。

 

就職活動では望んだ会社に入社できず挫折を味わった。しかしその後に取った行動が現在につながった。
「3年生の就活で受からず、悔しくてもう1年ファッション工科専攻科に進学して同じ会社に再チャレンジしましたが望み叶わず。そこで考え方を変え、就職をやめてモードブランドでアシスタントやアルバイトをして社会経験することにしました。複数の会社で4年ほど、パターン、企画、生産などを一通り経験。その後にアングローバルに入社してファッションデザイナーに」

思い通りにならないことがあっても、まっすぐな考え方を少し斜めに傾けるだけで目の前が開けてくることがある。時流にも柔軟に対応しつつ、自身のスタイルを確率させてきた藤内さんの生き方が大いに参考になるだろう。

※2022年10月取材。

取材追記

アトリエでのインタビューのとき、突然の楽しい出来事があった。ビームスのプレスチーフの安武俊宏さん(スタイリスト科卒業生:現 ファッション流通科スタイリストコース)がTOHNAIのサンプルコートを借りに部屋に入ってきたのだ。聞けばこのコートがお気に入りで、自ら着てフォロワー数が2万を越える彼のインスタグラムにアップするのだという。「文化服装学院つながり」「原宿つながり(ビームスの会社も原宿)」を感じた瞬間だった。偶然にもアトリエをシェアするショップのデザイナーも文化服装学院出身。ファッションの仕事を続ける限り、卒業生との関わりがずっと続いていくのだ。


LINKする卒業生

・大丸隆平(アパレルデザイン科卒業)
大丸製作所2、大丸製作所3 代表/OVERCOAT デザイナー
https://overcoatnyc.com/

「アメリカでモードブランドのパターンを手掛ける会社を運営する大丸製作所(oomaru seisakusho 2)の大丸くんは、1年生の基礎科時代の同級生。僕の時代は基礎科での知り合いに面白い人たちがいた印象です」

記事制作・撮影
高橋 一史  フォトグラファー/編集ライター
明治大学&文化服装学院(旧ファッション情報科)卒業。編集者がスタイリングも手がける文化出版局に入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。撮影・文章書き・ファッション周辺レポート・編集などを行う。

Instagram:kazushikazu

関連サイト

INTERVIEW

ファッションデザイナー
TOHNAI
藤内裕司(とうない・ひろし)
アパレル技術科/ファッション工科専攻科 2001年卒業

1977年、大分出身。高校卒業後に1年間大阪で過ごし、東京の文化服装学院に入学。卒業後にさまざまなブランドで経験を積み、05年、アングローバル入社。13年、独立しフリーランスのデザイナーに。17年、TohnaiDesignOffice設立。22年より自身の名を冠したTOHNAIをスタート。

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Vol.017

foufou 代表・ファッションデザイナー マール コウサカ

Ⅱ 部服装科卒業

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TOHNAI
藤内裕司(とうない・ひろし)
アパレル技術科/ファッション工科専攻科 2001年卒業

1977年、大分出身。高校卒業後に1年間大阪で過ごし、東京の文化服装学院に入学。卒業後にさまざまなブランドで経験を積み、05年、アングローバル入社。13年、独立しフリーランスのデザイナーに。17年、TohnaiDesignOffice設立。22年より自身の名を冠したTOHNAIをスタート。

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foufou 代表・ファッションデザイナー マール コウサカ

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