フリーランスのニットデザイナーは、
学ぶことを楽しむ人生
文化服装学院の卒業生たちの現在を追う、“文化つながり”のインタビュー集「LINKS(リンクス)」。今回のクリエイターはニットを専門にフリーランスで活躍するデザイナーの宮川里絵さん。会社勤めで長く経験を積み自然な流れで独立した宮川さんが語る、学ぶことを繰り返してきた仕事人生とは?
自身のブランド「SMEILE」
宮川さんのこれまでの仕事経験を、「何社も渡り歩いてきた」と言うと、会社勤めが苦手な人と思われるかもしれない。でも実は各社につき5年、7年といった長い期間働いてきている。しっかりとしたキャリアの積み重ねだ。学生時代からずっとニットという軸をぶらさずに目線を広げてきた。
そんな彼女は現在、フリーランスのニットデザイナーである。転機になった時期は2019年のコロナ禍直前。新しい道へ踏み出そうとしたとき、勤めるのに適した会社が見つからなかったこともあり独立を決意。一般に「OEM(オーイーエム)」と呼ばれる裏方のデザイン委託業務を手掛けつつ、スポンサーの支援を受けて自身のブランドの「SMEILE(スメイル)」を22年秋冬に立ち上げた。
「ニット専門ブランドです。さらに、糸からデザインすることも重要なテーマ」
宮川さんがそのようにコンセプトを語る。コストも手間も掛かるオリジナル糸のニットに挑戦する、ほかにない独自のニットウェア。
SMEILEはスタートシーズンから有力なセレクトショップ「ESTNATION六本木ヒルズ店」でポップアップショップが開催されるほど高い評価を得て、23年春夏シーズンもコレクションは継続。3月1日(水)〜7日(火)まで「名古屋栄三越」にて、8日(水)〜14日(火)まで「伊勢丹新宿店」にてポップアップショップが開催される。一着のなかに複雑な編地を詰め込みつつ、さらりとおしゃれなバランスに仕上げるのが宮川さん流のデザインである。時代感を踏まえた色の美しさも彼女らしい作風だ。ただ残念ながら諸事情あり、ブランドは今季で休止になる。持っているファンはずっと大事にして着続けよう。
フリーランスデザイナーの仕事
フリーランスのファッションデザイナーは、他社のOEM企画を請け負うのが仕事だ。黒子として影で働くスタッフである。なかでも糸を編むニットは専門知識が必要で、OEMが大切にされるジャンル。宮川さんが事情を次のように話す。
「大きな会社であっても、社内にニットデザイナーがいないケースが多いです。工場さんと対等に話ができて発注書を書き、難しい工程でもやっていただくのを交渉するのもデザイナーの役割。それには経験がないと難しいです。ニットデザイナーの数は世に少ないと思いますが、少ないからこそ勝てる!と考えています」
有名ブランドのコレクションでも、セレクトショップのオリジナルでも、展開するニットはOEM企画が多いもの。一般的なファッションデザイナー以上に“手に職”の技術を持ち、仕事を得やすいのがニットデザイナーなのだろう。
裁断で捨てる余り布が出ず、糸を無駄なく使い服にするニットは、SDGsの観点からも注目されているジャンル。身体に負担を掛けないリラックスした着こなしが主流の現代にもよく合っている。これからますます需要が高まる職業なのかもしれない。
入学してからニットを選んだ学生時代
文化服装学院でニットを学んだ宮川さんの道を後押ししたのは、同校で講師をしていた親族の叔母だった。
「文化に通うことを決めた大きなきっかけでした。服をつくる仕事をしたいとはずっと思っていて。母がよく編み物をして、わたしも小学生のとき自分用のポーチをつくったりしてました。デザインより服づくりに惹かれていたんです。文化に入るときも目指していたのはパタンナー。叔母からニットの面白さは聞かされてましたが。『ひとりでゼロからすべてを完成させられる服はニットだけ』と言われて」
入学して1年間の基礎科を経てからニットデザイン科を選択。
「一気に専門的なものを学べて楽しかったです。つくるプロセスがどんどんわかってくるから、毎日ニットだけでも飽きることがなく。難しかった授業は3年生のときの機械編み。通常は工場が行うプログラムの内容で、それまでの家庭用編み機とは違って正直なところ理解できてなかったです」
この作業が得意な学生は将来、ニット工場に勤める資質があるのかもしれない。服づくりの様々な経験を通して自分を知れるのも、文化に通う大きなメリットである。
ビューティフルピープルのニットデザイナーを経験
文化を卒業してまず就職したのは、ミセス層向けのニットを手掛ける会社。百貨店の平場に並ぶ自社ブランドを手掛ける老舗メーカーだった。約7年間勤めたなかで、最後の2年間は若向けブランドのデザイナーに就任した。続いて大手アパレルメーカーに転職するも、大きすぎる会社の規模に合わず1年以内で退職。そのあと入社したのがパリコレ参加ブランドのビューティフルピープル(社名はエンターテインメント)である。体調を崩したのがきっかけで退社するまで約5年半を勤め上げた。宮川さんの転職は、やったことのないことにトライするプロセス。
「違うフィールドに踏み出したい思いがあるのだと思います。最初の会社では安定した商品をつくるため、糸の太さや安定性を学びました。商品として成立させる考え方は学生時代と大きく異なった点です。工場さんに明確な指示を出さないといけないから、考えを人に伝えるやり方も探った日々でした。ビューティフルピープルがニットデザイナーを募集しているタイミングで参加できたのも新しい経験でした。他のデザイナーズブランドの動きをリサーチしつつ、よりワクワクするモノづくりができて。社員数が多くないこともあり、売上や価格に対するアプローチを求められたのもよかった。『デザインすることの意味』を学ばせていただきました」
プロとして働いても学び続けることで蓄積が溜まっていく。身につけた対応力が、フリーランスになった今活きている。
学生時代はつくりたいものを思いっきり
取材の最後に宮川さんに、ニットデザイン科の現役学生へのアドバイスをお願いしてみた。彼女の答えはシンプルながら奥深いものだ。
「つくりたいものをつくるのがいいでしょう。課題に追われがちですが、それだけでなく本当に好きなものを。自由な学生のうちしかつくれない服に挑戦して、ちゃんと完成させること。その成功経験があると、将来にプロになりアイディアが煮詰まったときでも過去を思い出して頑張れることがあるんです。諦めない気持ちは、工場さんに難しいリクエストをするときにも役立ちます」
中途半端に投げ出すと努力が記憶から消え去ってしまうのだろう。思いっきりやることで、例え結果が上手く行かなくても未来に結びついていくに違いない。
※2023年2月取材
LINKする卒業生 ・小泉佑介(ニットデザイン科卒業) カノン勤務 ・大久保千聖(ニットデザイン科卒業) 丸安毛糸勤務 www.maruyasu-fil.co.jp 「小泉さんはニットのOEM会社に勤務なさっている一学年上の先輩。ビューティフルピープルのとき生産を担当していただいてました。大久保さんは同級生で、ニット糸の会社に勤めています。糸の展示会に行ったり仕事でつながりのある会社です」 |
記事制作・撮影
高橋 一史 フォトグラファー/編集ライター
明治大学&文化服装学院(旧ファッション情報科)卒業。編集者がスタイリングも手がける文化出版局に入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。撮影・文章書き・ファッション周辺レポート・編集などを行う。
Instagram:kazushikazu
関連サイト
-
SMEILEの公式サイト。https://smeile.jp/
-
SMEILEの公式インスタグラム。https://www.instagram.com/smeile_official/?hl=ja
INTERVIEW
ニットデザイナー
宮川里絵(みやがわ・りえ)
ニットデザイン科 2006年卒業
1984年、新潟出身。高校卒業後に文化服装学院に入学。卒業年に老舗ニットメーカーに勤務。大手アパレルに転職したのち、2014年にビューティフルピープルに参画。ニットデザインを手掛ける。19年に独立してフリーランスに。22年秋冬シーズンより自身のニットブランドのSMEILEをスタート。
NEXT
Vol.020
stola.チーフデザイナー/stola.チーフパタンナー 高山彩香/川村梨津子
服飾専攻科 技術専攻卒業(高山)/
服飾専攻科 オートクチュール専攻卒業(川村)
NEXT
次回のVol.20は、LINKSの20回目を記念した特別編。全国で多店舗展開するstola.(ストラ)の社内で一緒に仕事する、デザイナー高山さんとパタンナー川村さんが揃って登場。まさに「リンク(LINK)する文化つながり」の同世代のおふたりが、仕事や学生時代に流行ったファッションなどを対談で語り合います!
INTERVIEW
ニットデザイナー
宮川里絵(みやがわ・りえ)
ニットデザイン科 2006年卒業
1984年、新潟出身。高校卒業後に文化服装学院に入学。卒業年に老舗ニットメーカーに勤務。大手アパレルに転職したのち、2014年にビューティフルピープルに参画。ニットデザインを手掛ける。19年に独立してフリーランスに。22年秋冬シーズンより自身のニットブランドのSMEILEをスタート。
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Vol.020
stola.チーフデザイナー/stola.チーフパタンナー 高山彩香/川村梨津子
服飾専攻科 技術専攻卒業(高山)/
服飾専攻科 オートクチュール専攻卒業(川村)