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KATSUE KUDO

工藤 勝江

工藤 勝江

06 July 2016

半世紀の長きにわたり文化服装学院で教鞭をとられ,時代に合わせたファッションの専門的過程、科・コースの設立に尽力されてきた工藤勝江先生に、文化服装学院の今昔やこれからの時代に必要な事柄について訊いた。

工藤先生ももちろん文化服装学院のご出身でいらっしゃいますが、なぜ文化服装学院で学ぼうと思われたのでしょうか?また、洋裁やファッションに興味を持たれたきっかけはどういったものだったのでしょうか?

工藤:もう50年も前のことですから、今とは時代が異なりますが、服や小物作りなど細かな作業、要はものづくりが好きだったんです。それがファッションに興味を持ったきっかけでもあります。ですから、文化服装学院に入学したきっかけは、「ものづくり」ということになります。

では、入学前からそういったものづくりについては、実際にされていたということですね。文化服装学院を選んだ理由に、例えば周りの方の影響などはありましたか?

工藤:やはり、周りの方の影響は強いです。私は、山形県の酒田市の出身ですが、近所に文化服装学院に在学している方がいて、帰省されている時に、色々文化服装学院の話を聞たことで、より文化服装学院に惹かれました。これまでも他校の学校案内の資料なども取り寄せていましたが、実際に在籍し学んでいる方のお話を聞けたことで、迷いなく入学を決めることが出来ました。

実際に通われている方から話を聞けたのは、安心ですし、それが知人であるとなおさらだと思います。 そうして、文化服装学院に入学されて、卒業後は教員として文化服装学院で勤務れるわけですが、教員という道を選ばれた理由はどういったものだったのでしょうか?

工藤:私は、母が小学校の教員をしておりましたし、妹も教員になりましたので、結果的には家庭環境によるものが大きかったのかもしれません。ただ、入学前から教員になろうと思っていたわけではなく、入学して学んでいくうちに、自然とそういった気持が芽生えていったのだと思います。最初は3年も勤められるかなと不安が大きかったですが、結果的には50年近くもお世話になりました。。勿論苦しいと思うこともありましたが、何と言っても大好きな学生達と接することは、とても楽しく忘れられない日々でした。

退職後はプランナーとしてもご活躍ですが、具体的にどのようなお仕事をされていらっしゃるのでしょうか?

工藤:現在のプランナーとしての仕事は、カラースタジオでパーソナルカラー(自分に似合う色)を学んでいる人たちを対象に、色を学ぶだけではなく、夢を実現するための自分服のブランド開発のお手伝いをしています。その多くの方々が、自身もも指導する立場で、指導方法を学びに来ているというところです。ファッションには関心があるけれど、服作りやコーディネートなどについて専門的な知識はありません・・・。 参加者の創作プリントを用いての服作りの指導をしています。最終的には、作った服をファッションショー形式でご披露する機会があります。発表は、自己満足だけでなく 美しい姿勢、美しい歩きなど表現の大切さをも伝えています。

学生として入学され、教員としても文化服装学院に長い間いらっしゃいましたが、文化服装学院で学んで良かったこと、メリットはどういったところだと思われますか?

工藤:なんといっても文化服装学院の知名度が高いということです。まづ規模(学生数)、教育設備、卒業生の活躍など、文化服装学院の右に出るものがない程と思っています。私は、教員として学生指導を中心に行ってきましたが、図書館や博物館など多くの施設の充実もさることながら、学生の視点で見れば新宿や渋谷というファッションの中心的な場所に立地していることは、文化服装学院で学ぶことの大きなメリットではないかと思います。

学生時代・教員時代・現在で文化服装学院に対する見方に変化はありましたか?

ファッション業界の方は勿論、他業界の多くの方々も文化服装学院をご存知でいらっしゃるんですね。それはとても誇らしく感じています。むしろ、教員として在職していた頃よりも今のほうが強く感じるかもしれません。

文化服装学院でファッション教育に携わってこられましたが、学校や学生の変化した部分、また変わらない部分はどういったところでしょうか?

工藤:まず大きく変わったこととしては、服作りだけではなくて、ファッション専門課程の細分化が挙げられると思います。もちろん文化服装学院は、服作り・モノづくりが中心ですが、ファッション分野の周辺への拡がりが出来たことは、時代に合わせて変化してきたことですし、重要なことであるのではないでしょうか・・・。また、留学生の増加も顕著な変化です。同じ教室で外国の方々と一緒に学ぶということは、それぞれの国の考え方や文気質なども学ぶことができ世界が身近に感じる事の一つということです。 それから、奨学金制度の充実、そしてアルバイトなどが身近に出来るようになったことです。経済的に難しかったことが、努力次第で夢がかなえられる環境になってきていることも以前とは変わってきている点だと思います。 そして、入学してくる学生が、昔も今も変わらないは、ファッションが大好きで、目指す目標が同じであるということです。

これまでファッションに教育という立場からに携わる中で、大切にしてきたことやポリシーにされてきたことはありますか?

工藤:専門的な知識や技術教育だけでなく ファッションを通して自分自身を高められるよう人間形成を大切にしてきました。具体的には、ビジネスに必要なマナーやルールについて特にに力を入れてきました。 私、個人としては、「いばるな・くさるな・なまけるな」ということをポリシーで・・・。それを前提に、学生指導では、まづ才能は<諦めないこと・逃げ出さないこと>であり、天才とは<99%の努力と1%のインスピレーションである>ということを話してきました。 また、モデルコース設立に際して、「日本伝統文化」を教科として取り入れた事です。卒業後、将来に海外で活躍する際に重要になる自国の文化である<お茶・お香・折り紙・日本の歌>等の基本を学ぶ機会を設けました。これは多くの卒業生からの声を反映させたものでもあり、私の自慢でもあります。

今後、すみれ会のコミュニケーションを促進していくために、必要なことはどんなことだと思われますか?

工藤:最優先で行うべきなのは、これまで以上に情報発信を行っていくことです。ただ、すみれ会から積極的に情報発信はしていきますが、情報を与えられるだけでなく、自ら見たり感じたり、文化服装学院という母校に関心を持ってもらわないと意味がないことと思います。相互作用が重要です。 卒業生、すみれ会の皆さんには、在学中と同様に、同期の皆さん、そして先輩・後輩の皆さん、さらに在校生の皆さんともつながを持てますように…。 すみれ会の情報をお役立てください。よろしくお願い致します。

工藤 勝江

元・文化服装学院ファッション流通専門課程専任教授

元・文化服装学院ファッション流通専門課程専任教授

1964年に文化服装学院に教員として採用され、専任講師を経て、1990年より専任教授に就任。92年からはファッション流通専門課程スタイリスト科のチーフとして教鞭をとる。以降、在任中にはファッションディレクター専攻、ファッションモデルコース、メーキャプコースなどの設立に尽力し、2014年3月に退職。退職後は、ファッションプランナーとして活躍。

1964年に文化服装学院に教員として採用され、専任講師を経て、1990年より専任教授に就任。92年からはファッション流通専門課程スタイリスト科のチーフとして教鞭をとる。以降、在任中にはファッションディレクター専攻、ファッションモデルコース、メーキャプコースなどの設立に尽力し、2014年3月に退職。退職後は、ファッションプランナーとして活躍。

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