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SANAE KOSUGI

小杉 早苗

小杉 早苗

22 June 2016

ファッション界をはじめとして多数の優秀な人材を輩出し、日本のファッション教育をリードしてきた文化服装学院の学院長を勤めていらっしゃる小杉先生に、文化服装学院への入学や現在のキャリアを築くのきっかけ、ファッションを志す学生が身につけるべきスキルまでを伺いました。

現在は文化服装学院の学院長としてご活躍されていらっしゃいますが、文化服装学院で学ぼうと思ったのは、どうしてでしょうか?

それは非常に単純明解で、服を作るのが好きだったからですね。いわゆる服作りが好きで、勉強してみたいと思ったからです。そういう理由で、最初は豊橋の連鎖校に入学しました。そして、そこで学んでいるうちに、小池先生の存在を知って、小池先生の元で勉強したいと思うようになり、文化服装学院で学ぶことにしました。ただ、その間には結婚して家庭を持ったりということがありましたから、豊橋から直接来たというわけではありませんでした。その間、4〜5年だと思いますが、インテリアの会社で働いていました。

その後、文化服装学院を卒業してからは、すぐに教員として働かれたのでしょうか?

いいえ、教員になるなんて思ってもいませんでした。卒業した頃には、子供ができましたので、家庭にはいりました。その後、教員になるまでの4〜5年はフリーランスで、外注を受けてパターンナーをしていました。そんな時に、雑誌の企画で、小池先生のデザインでお手伝いする機会があり、ご挨拶に伺いましたら、「今何やっているの?」と聞かれまして、「主婦です」と答えたら、うちにいらっしゃいということになり、先生方の助手をすることになりました。

小池先生から声がかかるということは、かなり評価されていたのですね。

そんなことはありませんが、3年生の時に私と山本耀司さんの二人が学院の先生になるように言われて、当時の学院長先生の前で試験を受けたことがありました。そして、一度は二人とも先生になることが決まっていたのですが、私は妊娠していたこともあり、辞退することにしました。そうしたら、耀司さんもやめるということをおっしゃって、二人共先生にはなりませんでした。

先生は後に戻っていらっしゃましたが、山本耀司さんはその時に辞めてよかったのかもしれませんね。

そうですね。私は、妊娠が理由だったけど、彼は「ここにいても、自分がやりたいことはできないかも知れない」と言って先生になることをやめましたので、結果的によかったのかもしれません。

豊橋の連鎖校と東京の文化服装学院で学ばれたわけですが、学院で学ばれてよかったと思われることは、どんなことでしょうか?

豊橋の連鎖校も非常にレベルが高かったこともあり、当初の目的であった服作りは覚えたのですが、途中で小池先生のことを知ったものですから、入り直したわけです。よかったと思うことは、自分の行く道というか、人生について学ぶことが出来たので、それは非常に大きな収穫だったと思います。 そのほか感性や感覚的な面を磨くことが出来たと思います。先生になって戻ってくるとは思っていませんでしたし、ファッションと時間は反比例すると考えていたので、先生になってからも学ぶことは多かったです。

小池先生との出会いが大きな影響を与えているのですね。小池先生がいらっしゃるまでは、連鎖校も含めて基本的には花嫁修業の学校という意味合いが強く、その中で、裁縫の技術を習得され、小池先生からデザインを学ばれたということですね。

そうですね、以前インタビューで耀司さんもおっしゃっていましたが、私達の頃は花嫁修業的な学校でしたね。

卒業後も、これまで長い間文化服装学院の運営に携わっておられますが、学生を見ていて、昔と今で変わったところはありますか?変わったところがある場合には、具体的にどういった部分でしょうか?また、変わらない部分があるとしたらどういった点でしょうか? 卒業後、数年たって教員になられたということですが、先生自身、学生時代と教員になられてからで、大きく変わられたのはどのような事でしょうか?

学生の時は、やはり自分のことしか考えないものです。宿題とか課題とか作品とか。でも、教員として勤めてからは、「この学生はどういう風に指導したらよりよいところが引き出せるか」といったことや、「どこかいいとこを伸ばして、その学生にあったところに就職させよう」など、何をどういう風に指導すればいいかということを常に考えてきました。例を挙げたらキリがないけれど、客観的に見て指導していくと、学生自身が思っているより、それがその学生にはまっているなんていうことは、意外とあると思います。自分では気がついてないことも多いと思うので、そういったことからも、自分が学生の時とは、ガラッと変わりました。

今の学生と昔の学生を比較して、変わったと思われることはどんなところでしょうか?

昔は、インターネットがありませんでしたから、本を読んだり、夢中で勉強したり、デザイン画を描いたり、とにかく手と頭を使っていましたが、今は逆に情報は過多というくらい入ってくるから、そういったことをしなくなっていますよね。手や頭を使わなくなっているのかなという心配はあります。

学生が変わっているということもあるのかもしれませんが、文化の教育自体も変わってきているということもあるのかもしれんませんね。

それはあると思います。実際にカリキュラムも変わってきていますし、技術的な基礎に加えて、ファッションの一般教養をしっかりとやっているという自負はあります。そうしたことは、就職するためというよりは、就職した後に役立ってくることなので必要なことだと思います。

そうして、長年ファッション教育に携わってこられたと思いますが、最も大切にしてきたことはなんでしょうか?

それは非常に明確で、全ては共同作業であるということですね。誰も一人では何もできないということです。私自身が作った言葉なのですが、「和して流れず」という言葉があり、人間一人で仕事をしているわけではありませんから、みんなと仲良くしなければいけないけれど、自分を失くしてはいけませんよという意味です。流れずというのは、決して意固地になることではなく、自分というものをしっかり持ちましょうということです。

卒業生と話をすると、学校内での縦のつながり・横のつながりが希薄で、もっと交流やコミュニケーションをとれたらよかったという声を少なからず耳にしますが、OB/OGを含めてそういったコミュニケーションについてはどのようにお考えでしょうか?

すみれ会でも話が出ていることですが、卒業時にクラスの中で代表者を一人決めて、一年に1回でよいから連絡先などを報告してもらうというようなことができたらよいのではないかと思っています。

また、学園祭を始めとして、行事に参加することで様々な人と交流があると思いますので、学院にかかわって下さった皆さんすべて積極的に参加して頂きたいと思います。

すみれ会は今後どういった組織になっていくべきであるとお考えでしょうか?具体的なヴィジョンをお聞かせ下さい。

組織としては、学院を大いに使っていただきたいということです。それがコミュニケーションになるということでもあると思いますが、設備も整っているし、情報もたくさんありますので、どんどん見に来てほしいです。また、それが就職の斡旋にも繋がってきてもいいと思いますし、先輩と後輩が繋がっていけば、優秀な学生を獲得出来ることに繋がっていくと思っています。

最後にすみれ会員に限らず、全ての卒業生に向けてメッセージをお願い致します。

これからは、国内だけでなく世界に目を向けていかなければなりません。世界で自分が活動するんだという気構えで、勉強しましょうということです。極端に言えば、建築物などと違って服は世界の70億人が対象になるわけですから、底知れない広がりがあるわけです。そういった意味からも、世界に目を向けて、活動していきましょうということは伝えていきたいです。また、世界で活躍するためには、自分の国の歴史やファッションなど、アイデンティティーをしっかり身につけていないといけないということも、同じように伝えたいです。

小杉 早苗

文化服装学院 学院長

文化服装学院 学院長

愛知県出身。文化服装学院デザイン科卒業。文化服装学院専任教授を経て、2003年から文化ファッションビジネススクール校長を務め、06年から現職に。本年6月から文化学園理事、文化服装学院学院長を兼務。
日本人間工学会衣服部会役員、ファッションビジネス学会会員、経済産業省産業構造審議会臨時委員、日本アパレル産業協会委員会委員などを務める。『ミセスの服』シリーズ・「ミセスのふだん着」「ミセスのお出かけ着」「ミセスの旅行着」(文化出版局)、『ジャケットとコートの手ほどき』(文化出版局)など著書も多い。

愛知県出身。文化服装学院デザイン科卒業。文化服装学院専任教授を経て、2003年から文化ファッションビジネススクール校長を務め、06年から現職に。本年6月から文化学園理事、文化服装学院学院長を兼務。
日本人間工学会衣服部会役員、ファッションビジネス学会会員、経済産業省産業構造審議会臨時委員、日本アパレル産業協会委員会委員などを務める。『ミセスの服』シリーズ・「ミセスのふだん着」「ミセスのお出かけ着」「ミセスの旅行着」(文化出版局)、『ジャケットとコートの手ほどき』(文化出版局)など著書も多い。

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